戯言ヲトメツバキ(完)
言葉にならないものを、少しでも言葉にしようとしていました。
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0201
土曜日に、Obirin LABO Projectという、桜美林大学のダンス公演を観た。学生による6組のオムニバスだったのだが、よすぎてびっくりした。5番目の米田沙織さんの作品を観ていたら泣けた。ダンスを観て泣くなんて初めて。その後の大トリの北尾亘さんの作品を観たら、サーカスのパレードを観たときのような、とてつもなくご機嫌な気分になった。ものすごく集中力を消費したので、その後の稽古でダレやしないかと心配になった。
日曜日に、ハーベイの芝居を観てから長野が東京に帰って来たというので、岡本と3人で飲んだ。疲れていたので酒は飲まず、思い出話なんかを沢山して、とても楽しかった。
そして今日は小屋入りの日。僕はマスクに軍手を準備して、みんなで舞台を飾り付けていく。雪が降って、抜き稽古があった。ラーメンを食べるのは諦めて、さっさと家に帰った。
僕がこのところものすごく考えているのは、もちろん今回の芝居のこと。そして自分の役のこと。共演者や共演者の役との関わりのこと。自分の演技の特徴と課題。演出家が目指していること。
正直しんどいが、やれることをやるしかない。節々は所々痛いけど、ケガも病気もしていない。お金はどんどん減っているが、体調管理はしっかりやっているつもりだ。ディスコミュニケーションは、残念ながら、どっさりある。だけど、まだ本番までにやれることはある。希望を捨てる必要はない。26にもなってまだこんな青い言葉を使っている私。
具体的な個人に向けられる類の感情の振れ幅が激しい。でもそれにすべてが巻き込まれはしないでいられる。僕にも音楽とか言葉とかの依り処があって、そのお陰で今はまだ色々なことを台無しにせずに済んでいるのだ、と思う。
ちくしょう。あー、ちくしょう。悔しいなあ。
日曜日に、ハーベイの芝居を観てから長野が東京に帰って来たというので、岡本と3人で飲んだ。疲れていたので酒は飲まず、思い出話なんかを沢山して、とても楽しかった。
そして今日は小屋入りの日。僕はマスクに軍手を準備して、みんなで舞台を飾り付けていく。雪が降って、抜き稽古があった。ラーメンを食べるのは諦めて、さっさと家に帰った。
僕がこのところものすごく考えているのは、もちろん今回の芝居のこと。そして自分の役のこと。共演者や共演者の役との関わりのこと。自分の演技の特徴と課題。演出家が目指していること。
正直しんどいが、やれることをやるしかない。節々は所々痛いけど、ケガも病気もしていない。お金はどんどん減っているが、体調管理はしっかりやっているつもりだ。ディスコミュニケーションは、残念ながら、どっさりある。だけど、まだ本番までにやれることはある。希望を捨てる必要はない。26にもなってまだこんな青い言葉を使っている私。
具体的な個人に向けられる類の感情の振れ幅が激しい。でもそれにすべてが巻き込まれはしないでいられる。僕にも音楽とか言葉とかの依り処があって、そのお陰で今はまだ色々なことを台無しにせずに済んでいるのだ、と思う。
ちくしょう。あー、ちくしょう。悔しいなあ。
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0129: なんかちょっと盛り上がっちゃってる日記。
本番まで時間の少ない中、丁寧に稽古をつけてもらう。
僕が勘違いしてるとこや拘ってるとこについて表明して、訂正してもらう作業等を通じてその先に進むという、そのようなことが部分的にできたのではと思っている。
「僕の身体と言葉が喧嘩している」という表現は一瞬で凄い腑に落ちた。ずっと動きを不自由にしていながら見えていなかったものに、相当ぴったりの名前がついたんじゃないか。
順番(優先順位)を間違えちゃいけない。
コミュニケーションはまず前提にあるもので、演出(ミザンス)よりも先に必要なこと。
信じるということは苦手だ。
自分が出すものを信じられないこと、相手がそれを受け取ってくれる(好意的に反応するとは限らないにしても)と信じられないこと、は、自分のアクションをとてつもなく抑制するし、僕は多かれ多かれ少なかれそうやって生きてきた。
信じられるものがないとは言わないが、信じられるものが増えることは今まであまりなかった。
だがしかし、
だがしかし。
新しいことをやるのは怖くて、失敗するのは当たり前。
本当に怖い。ひっこめてしまいたいし、逆にヤケになってしまいたい。でもそれは欲求ではなくて、怖さを鎮めようと働く衝動でしかない。面倒になって手を抜いてしまったり投げ出したりしたくなることもあるけど。
「なんとなく、そうなった。」
場稽古で出たものについてそう表現した共演者の言葉に、とてもとても詰まっている、ような気がする。
といっても、古い言葉にしがみついて眼を閉じるようなことはやりたくない。
節約せず惜しみなく私のエネルギーを注いで、どんどん具体的にしてやる。
演劇という行為には、自分の中で構築してきたものを再構成する過程がある。
川口のことを思い出す。
「わが町」のことを思い出す。
「ポケットで海がいっぱい」のことを思い出す。
金魚スターのことを思い出す。
昔好きだった女の子のことを思い出す。
来週、芝居に出ます。
神奈川と東京の境目くらいにある劇場で、山梨とか富士山の出てくる話をやります。
範宙遊泳 郷土物語宣言第一弾 「山梨」
もしよかったら観にきてください。
僕が勘違いしてるとこや拘ってるとこについて表明して、訂正してもらう作業等を通じてその先に進むという、そのようなことが部分的にできたのではと思っている。
「僕の身体と言葉が喧嘩している」という表現は一瞬で凄い腑に落ちた。ずっと動きを不自由にしていながら見えていなかったものに、相当ぴったりの名前がついたんじゃないか。
順番(優先順位)を間違えちゃいけない。
コミュニケーションはまず前提にあるもので、演出(ミザンス)よりも先に必要なこと。
信じるということは苦手だ。
自分が出すものを信じられないこと、相手がそれを受け取ってくれる(好意的に反応するとは限らないにしても)と信じられないこと、は、自分のアクションをとてつもなく抑制するし、僕は多かれ多かれ少なかれそうやって生きてきた。
信じられるものがないとは言わないが、信じられるものが増えることは今まであまりなかった。
だがしかし、
だがしかし。
新しいことをやるのは怖くて、失敗するのは当たり前。
本当に怖い。ひっこめてしまいたいし、逆にヤケになってしまいたい。でもそれは欲求ではなくて、怖さを鎮めようと働く衝動でしかない。面倒になって手を抜いてしまったり投げ出したりしたくなることもあるけど。
「なんとなく、そうなった。」
場稽古で出たものについてそう表現した共演者の言葉に、とてもとても詰まっている、ような気がする。
といっても、古い言葉にしがみついて眼を閉じるようなことはやりたくない。
節約せず惜しみなく私のエネルギーを注いで、どんどん具体的にしてやる。
演劇という行為には、自分の中で構築してきたものを再構成する過程がある。
川口のことを思い出す。
「わが町」のことを思い出す。
「ポケットで海がいっぱい」のことを思い出す。
金魚スターのことを思い出す。
昔好きだった女の子のことを思い出す。
来週、芝居に出ます。
神奈川と東京の境目くらいにある劇場で、山梨とか富士山の出てくる話をやります。
範宙遊泳 郷土物語宣言第一弾 「山梨」
もしよかったら観にきてください。
0128
稽古の課題は山積みだし、仕事もボランティアも滞納が目立つが、なんとか踏ん張りどころを見つけた気がした。
空を見上げて月が日に日に肥えてくるのをうっとり眺める。今日は雨が降ったのにとても温かく、だから空気が柔らかくて、青い毛布にくるまってるみたいだった。
ここんとこ歩く速度がずっと遅くなっていたのが、ようやくいつもの速さで歩幅で歩けるようになった。
栄養は大切だし、大戸屋の焼さば塩は黄金だ。甘いものは大切だし、豆大福は黄金だ。
オノナツメ好きという意外な共通点を見つけたUさんが笑った顔はすげぇ好みだし、役者にとって凄い大切なことを俺なんかに態度で言葉で語ってくれるNさんも好きになった。Hさんとは残りの稽古期間で、もっとコミュニケーションが取れるようになりたい。
僕は2年前の芝居で演出家と共演者の2人に出逢ったことで人生が変わったと思っているのだけど、あるいは今回も、もしかして、という予感がぞわりと心臓を撫でていく。
もうちょとちょとちょとがんばるぞ。
空を見上げて月が日に日に肥えてくるのをうっとり眺める。今日は雨が降ったのにとても温かく、だから空気が柔らかくて、青い毛布にくるまってるみたいだった。
ここんとこ歩く速度がずっと遅くなっていたのが、ようやくいつもの速さで歩幅で歩けるようになった。
栄養は大切だし、大戸屋の焼さば塩は黄金だ。甘いものは大切だし、豆大福は黄金だ。
オノナツメ好きという意外な共通点を見つけたUさんが笑った顔はすげぇ好みだし、役者にとって凄い大切なことを俺なんかに態度で言葉で語ってくれるNさんも好きになった。Hさんとは残りの稽古期間で、もっとコミュニケーションが取れるようになりたい。
僕は2年前の芝居で演出家と共演者の2人に出逢ったことで人生が変わったと思っているのだけど、あるいは今回も、もしかして、という予感がぞわりと心臓を撫でていく。
もうちょとちょとちょとがんばるぞ。
0125
学習塾の仕事を終えて大学で稽古。
院生の時には入ったことのない建物が稽古場だった。
気分はなぜだか少し軽くなっている。
なぜだか、というのは嘘で、心当たりはある。
私の意志だけは、私だけのものだ。
院生の時には入ったことのない建物が稽古場だった。
気分はなぜだか少し軽くなっている。
なぜだか、というのは嘘で、心当たりはある。
私の意志だけは、私だけのものだ。
0124
ちょっとだけでもいいから、できるだけ毎日ブログを書こうと思います。
きっとこの場と、だまって読んでくれる人たちと、たまにコメントをくれる人は、わたしをじわっとゆるめてくれる、小さい小さい光のような、わたしにとって、かすかな確かなよりどころになっている。
最後のオフは、芝居を見て、なんやかんやで共演者と長く過ごした。
最近のわたしは、とても欲張っていたのではないかと思った。
新しい人たちと新しいことをすると、自分が知らなかった様々な黄金が目に入ってくる。
目移りして、欲しくなって、うずうずして、手をのばして、ぎこちなくて、その体験も新しくて。
でも、わたしの資質にはちゃんと限界があって、それを度外視すると残念なことになる。
却って、本当に欲するものを満たせなくなってしまっているんでないかと思う。
このへんのさじ加減、ほんとうに難しい。
少しでも気を抜くと、そうでなくとも気がつくと、すぐに意味が抜けてしまっている。
実家に帰ったついでに、ブギーポップ・イン・ザ・ミラー「パンドラ」を引っこ抜いて読んだ。
前のわたしが好きだったものが、見え方は当時と異なっていても、今のわたしも依然として好きだということを確認できたのが、
とても嬉しかった。
きっとこの場と、だまって読んでくれる人たちと、たまにコメントをくれる人は、わたしをじわっとゆるめてくれる、小さい小さい光のような、わたしにとって、かすかな確かなよりどころになっている。
最後のオフは、芝居を見て、なんやかんやで共演者と長く過ごした。
最近のわたしは、とても欲張っていたのではないかと思った。
新しい人たちと新しいことをすると、自分が知らなかった様々な黄金が目に入ってくる。
目移りして、欲しくなって、うずうずして、手をのばして、ぎこちなくて、その体験も新しくて。
でも、わたしの資質にはちゃんと限界があって、それを度外視すると残念なことになる。
却って、本当に欲するものを満たせなくなってしまっているんでないかと思う。
このへんのさじ加減、ほんとうに難しい。
少しでも気を抜くと、そうでなくとも気がつくと、すぐに意味が抜けてしまっている。
実家に帰ったついでに、ブギーポップ・イン・ザ・ミラー「パンドラ」を引っこ抜いて読んだ。
前のわたしが好きだったものが、見え方は当時と異なっていても、今のわたしも依然として好きだということを確認できたのが、
とても嬉しかった。