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 コメント1

「テープ起こし3のコメント」
・話題を浅いところから深いところに段々掘り下げていく視点とか、キーワードが出るなどチャンスがあったら掴んで関連箇所について掘り下げて聞く始点とか、そういう「認知地図」を頭に浮かべておくことが必要だ。体験自我一色に染まらないで、観察自我も常駐させておく。という表現はちょっと乱暴で、少しずれているのかもしれないが、大体そんな感じ。
・その人が「実際に何を体験したか」と、「何を体験したと意識しているか」と、「何を語ったか」は基本的に階層的だし、前者に無いものが後者に存在する(フィクションと呼ばれたりする)場合もある。そういう問題や、サンプリングの問題など、それが分かっていてもその方法を採るしかない場合に、「その問題があたかも存在しないかのように振舞う」こと(≒その問題の重要度を割引く、あるいはそれについて開き直ること)は、認知的不協和の解消には貢献するかもしれないが、研究の価値や、研究への誠実さ(これは俺が特に拘りが強い)を大いに危険にするものだと思う。このベクトルは外に向くと単なるやらしい人になってしまうので、常に自戒を込めて持ち歩こう。
・個人に憑いている信念(ルール)というものを、意識にあるものと無意識にあるものに便宜的に分けてみる(僕が昨日、意識化すると信憑性が失われると言った信念と同じものだ)。インフォーマントが意識していない信念を言葉(データ)の形で引き出すにはどうすればいいのだろうか?信念というものは、言ってみれば一段抽象化された構造だから、1つの方法は、具体的なエピソードをいくつか語ってもらって、そこから帰納的に導き出すという方法が考えられる。逆に、今まで僕がやってきたような、単刀直入に訊ねる方法というのは、意識レベルにある信念(コミットメントしている場合も、そうでない場合も)について語ってもらうには手っ取り早いが、そうでない、無意識レベルにある信念を探るのには非常に不適当なのだろう。何かほかの方法を考える必要がある(帰納法作戦はあまり賢いやり方ではない気がする)。研究者が仮説について推測できるだけの素材を逐語に散りばめさせることと、そのための工夫は必要だ。面接場面での仮説(つまり信念)の共有は(ラポール形成という観点では非常に魅力的ではあるが)必ずしもやらねばならないわけではない。
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 パラグラフ1

「擂り込まれてくる僕のパターンについて」
 個人には個人のパターンというものがある。そんな当たり前のようなことを、テープ起こしをしながら思いついた。僕はきっと、素敵な言葉や素敵な音が「染み込んでくる」ということがあまりない。僕が好むのは、きっともっと泥臭い方法だ。テープ起こしのように、何度も何度も同じようなことを、反復して反復して嫌になっても繰り返して、そのちょっと絶望的なループの中で、少しずつ、体の中に「擂り込まれてくる」のだ。
 最近になって新しく出逢う、素敵な人やものが多すぎて、今までほとんど意識することはなかったけれど、振り返ってみれば多分僕はそういう風に学んできた。ガッコウでやるような勉強はもちろん、そうでないものも山ほど。(こういう、何かに気付いた!という感覚はとても重要なものなのだが、うっかりするとその快感覚に引き摺られて、肝心な洞察を手放してしまうことがある。要注意。)
 もちろん、「染み込んでくる」学びと「擂り込まれてくる」学びは1人の人間の中で排他的なものとも限らず、単に僕が体験を「染み込んでくる」学びに繋げるだけの身体(スキルと呼んでもいいかもしれない)を持ってないだけかもしれない(そっちの方が有力だ)。そういう視点も大事だし、もし僕が「染み込んでくる」学びによって成長することが出来たなら、どれだけ世界が面白くなるかは、途方もなさすぎて想像がつかない。
 しかし、今ここに「ある」ものと「ない」ものは、観念の上では等価だけれども、実用的には全く別物だ。僕は「ない」もののことをすっかり失念することで固まって行ってしまうリスクを避けながら、でも今目の前に「ある」ものを大事にすることをおろそかにしてはならないのだ。つまり僕は「染み込んでくる」学びの準備をしながらも、「擂り込まれてくる」学びにまず従事することを維持することが第一ってことだ。

 こういう思考の整理はそれ自体何も産み出さないので、何の役にも立たない時間潰しとよく一緒くたにされがちで、実際、思考の整理だと思っていたものがただの時間潰しであることもしばしばある。しかし適切な思考の整理を行っておくことは、少なくとも僕にとっては、生きているだけで必ず生じてくる迷いをキャンセルしうる原動力となる。そして、優柔不断な僕が何かを成し遂げようとするにあたっては、そういう迷いに対抗する力を蓄えることはとても重要な意味があると思うのだ。
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 夏の決心

これは、笑われるかもしれないが、僕にとっては真剣な話だ。
遅すぎるかもしれないが、遅すぎることなんてないとも思う。

「僕」は何だ?

僕の「周り」は何だ?

僕が「志向」するのは何だ?

僕が「自らに課す」のは何だ?


人と出会い交流することの重要性は計り知れない。
しかしそれだけではすべてを説明できない。

僕の精神年齢は相対的に幼く、アイデンティティは拡散している。
しかしそれは結論にすべきではないし、その言葉の意味も掘り下げる必要がある。

「刀語2斬刀・鈍」「NHKへようこそ!」を続けて読んだ。
しかしそれはそんなに大した意味はない。

「僕」という構造。
24歳の夏に、それを明らかにしようと試みる。
構造に切り込みを入れて、1つの「流れ」を創り出す。
24歳の夏の終わりに、それを果たそうと試みる。

このブログと、お隣のサイトは、その記録にしようと思ってる。
どうか見ててください。
たまに覗くのでも構わないから。

夏休みは、時間がある。
考える時間も、動く時間もある。
時間というのは、可能性だ。
エンブリオの卵だ。

多分今年の夏休みは、最後の夏休みだ。
ここで生きなきゃ、何かが確実に死ぬ。

反復することも、拘ることも、感覚に頼ることも、積み上げることも、
すべて同一性を確保するための構成要素だ。
同一性とは、アイデンティティの訳語になっている言葉。
一巡して、戻って来たいものだ。

いってきます
たんっ

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 0730

1.録音テープ
面接の内容を文字に起こしていると、その時は気付かなかったことを沢山思う。
それをいちいちメモしているのだが、そのせいもあって中々作業が進まない。
身体ひとつで面接に臨んで、そこでできることを増やして行きたい。
役者だって、そこは同じだと思うのだよね。

2.メール
全然大したことではないけれど、頼られ方がよく分からない。
頼られるときの力み方がよく分からない。多分力みすぎている。
多分それと連動して、頼り方はもっと分からない。
甘え方なんて、論外だ。

3.電話
人が誰かに質問をするのは、意図がある。
もっと言えば、大体は、なにか知りたいことがある。
その質問に文字通り答えることが、相手の要求通りとは限らない。
「この人は何が知りたくて今この質問をするんだろう?」と考える視点が欲しい。
そして答え合わせをしよう。当たってても外れてても、ためになる。

4.会議
人が集まってめいめいが意見を言う。
喋ってばかりの人もいる。口を挟む人もいる。黙ってばかりの人もいる。
化学反応は爆発的に起こる。
僕にはごちゃごちゃしてて、なんだかよくわからん。
このエネルギーを有意義な方向に向け続けるには、色々なものが必要なんだ。
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 0729

http://sunasand.xxxxxxxx.jp/index2.htm
※あくあふぉんとがインストールされていると作成者の意図通りに表示されます。

自転車で帰る途中、空に光が閃いた。
何度も何度も光って、遠くで轟音がして、ほどなく激しい雨が降り出した。
僕は自転車に乗っていて、あーもしや、やっぱり、うわーどうしよう、とか思いながら、急ぎ目に自転車を漕いでいたが、途中でこりゃ敵わん、とコンビニエンスに入った。
ipodとICレコーダーと借りた本は濡らしてはいけない。
入ったコンビニエンスは雑誌にすべて包装がしてあった。
ぶらりと店内を一周したが、ほかにも時間を潰せるようなものはなかった。

チョコパンを買った。値段を見ずにレジに持っていったら意外と高かった。
チョコと称されてパンの中に入っているものはなんなんだろうと疑問に思いながら食べた。
そこは店のガラス窓の外で、雨が凌げるような場所だった。
隣では、さっき傘を買った男性が、タバコを1本吸って、それから暫くして出ていった。
ガラス窓越しに店の中を眺めると、僕の探していたものが見つかった。

ゴミ袋を買った。チョコパンよりも安かった。10枚パックだった。
1枚引き出して、ipodとICレコーダーと借りた本を包んでカバンに入れた。
もう1枚引き出して、カバンをくるんで、自転車のカゴに入れた。

自転車のスタンドを降ろして、雨の中に、漕ぎ出す。
叩き付ける雨で、視界がぼやける。眼鏡がズレる。雨が目に沁みて痛い。
携帯電話が少し気になる。せめて電源を切っておけばよかった。
がたがた揺れるので、ゴミ袋が外れやしないかと心配になる。

家に着くまでは、5分くらいだったと思う。
その間、僕は不快を感じながら、それでもすごく楽しかった。
家に帰って、風呂に入って、それからwebの頼まれ事を片付けて、
スガシカオを流しながら、たっぷりと時間をかけて柔軟をした。
いつの間にか眠っていた。

せっかくなので、僕は今晩のうちに、別の人間になってしまったことにしよう。


新しい僕は、僕に良い影響を与えてくれた人のことを忘れずにいる。
今まで忘れてしまった人のことは、がんばって思い出す。

新しい僕は、前の僕と同じように小難しい言葉ををたくさん喋るのだが、
前の僕と違って、言葉を喋るだけで満足したりはしない。
言葉にするのは目的ではなくて、対処でもなくて、出発点だと考える。

前の僕は何度か、「人生って面白い!」と叫んだことがあるのだが、
新しい僕は、同じ言葉を叫ぶときも、前とは違う気持ちでその言葉を叫ぶ。

僕は力を手に入れることを目的にする。
力とは、周りの人に良い影響を与える力だ。
そのために、僕は自分が周りの人に影響を与えることに対して持っている「強いおそれ」について、ちゃんと分かっておくことがまず重要だ。今、僕にはそういうものがある。
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